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発達障害者のために何ができるか

障害者のために環境を整えることは、保護者や専門施設だけの役割ではありません。社会全体が障害者のために工夫を凝らすことで、誰もが生きやすい環境を作ることが出来ます。例えば勤め先にADHDに罹患した人がいるとしましょう。彼は衝動的に行動してしまいますから、彼に仕事を任せる時はパターン化することが大切です。彼の記憶を信頼し過ぎたり、俯瞰する能力を要求したりすると、失敗し兼ねません。よく見られるのは目の前の仕事しか取り組めないケースです。このような配慮は、会社全体で共有するとよいでしょう。段取りの組み立ては他の人に依頼し、障害者にはパターン化された仕事をお願いすればよいのです。
ADHDに関して言えば、他にも社会が気を付けるべき症状が認められます。ADHDに罹ると、視覚認知、空間認知に欠落が生じてしまいます。例えば勤め先で書類を保管するのは基本的な業務ですが、空間認知に問題のある人は整理整頓が叶いません。特に保管場所が頻繁に変わるようなケースでは、混乱してしまいます。対策としては、障害者専用の保管場所を設け、移動させないことが大切です。一覧表を貼りだしてみるのも効果的でしょう。また大人のADHDの症状には、非礼を働いてしまうというものがあります。通常、報告、相談には、実行するのに適切なタイミングが存在します。障害者はそのタイミングを掴むことが出来ないため、報告は定期的に行ってもらうとよいでしょう。フローを作成するとより分かり易いものとなります。報告の仕方についても配慮が必要です。障害者は口頭報告を苦手とすることが多いので、メモに文書化するなどして対応します。内容ごとに相談する相手を設定し、フロー化すると戸惑うこともないでしょう。

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デイケアと発達障害

子どもの発達障害は、当然ながら本人が気付いて発覚するものではありません。多くの場合、母親が他の子どもとの違いに気付き、受診させることで分かります。例えば興味の示し方が同級生と異なっていたり、すぐに喧嘩してしまったりするので、親としても不安になり、病院等に足を運ぶのです。ですから発達障害が発現してすぐの時期は、本人はもちろんのこと、保護者に対するケアも欠かせません。デイケア施設の役割は本人の発達支援に留まらず、保護者や関係者の不安解消も含まれています。一番効果的なのは、発達障害を正しく、丁寧に説明することです。そして、保護者同士の交流の場を設けることです。保護者に対するケアが行き届けば、子どもたちに最適な環境を作ることに心血を注ぐことが出来ます。発達障害者が集まってケアを受けると、学校とは異なる特別な学習プログラムに沿って、受講することが出来ます。デイケア施設はその環境作りの専門機関として、大いに役立っているのです。
デイケア施設のアプローチの基本は、疾患の特性に合わせることにあります。そうすることで、人より優れている部分を活かして自立するための指導計画を立案することが出来ます。具体的な目標が定まれば、子どもも意欲的に取り組むことが出来るため、好循環が生まれます。デイケアのスタッフがサービスを提供する上で特に心掛けていることは、子どもたちになるべく生き辛さを感じさせないようにすることです。社会に受け入れられない状況を具体的に学ぶことで、その状況を避けられるようになります。そして理解の追いつかない部分に関しては、専門家の指導を仰ぎ、克服に向けてトレーニングを受けます。もちろん克服と言っても、無理をさせるわけではありません。子どもたちが楽しみながら出来ることを策定するのもデイケア施設の役割です。例えばASDに罹患していれば、情報処理を不得意とします。指示を理解できなかったり、集中が持続しなかったりします。このような場合、文書を用いたり、フローチャートを作成したりすれば、ASDの克服に一歩近づけるわけです。

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自己診断は禁物

発達障害について、なまじ知識を蓄えると、要らぬ心配をしてしまう人がいます。病院で受診する前に、自分の障害を疑う人です。気付くまでは結構なのですが、必要以上に不安になるのは禁物です。何故なら、素人の判断程当てにならないものは無いからです。実際、発達障害ではないかと不安になり、病院を訪れた人の多くは障害と診断されません。つまり健常者なのです。都内の某病院でも同様の統計が残っており、ASDは3割、ADHDは1割にしか見出せなかったとしています。しかもその比率には所謂グレーゾーンの人も含まれているため、本当の発達障害者は受診した人の3割弱ではないかと推測されます。
では残りの7割強の人は、何故自己診断で誤ったのでしょうか。その要因として考えられるのは、発達障害の症状の特徴でしょう。例えば、文章を書くのが苦手だったり、計算が苦手だったり、じっとしていられなかったり、友人と仲良くなれなかったりすることは、発達障害の典型的な症状ですが、共通するのは、健常者の特性としても不自然でないという点です。健常者であろうと、友人を作るのが苦手な人は沢山います。彼らは社交不安を抱えているわけですが、その不安が発達障害を想起するのでしょう。しかし冷静に考えて下さい。本当にASDの患者であれば、社交不安に囚われるよりも、只々鈍感であることの方が多いはずです。

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完治を望めない障害

発達障害は病気であるのですから、当然医学の力を借りることになります。基本的には投薬治療と生活療法の二本柱で進めることになります。両者に優劣はありませんが、投薬治療が急速に進歩しているのは事実であり、例えば子どもに投与していたADHDの薬を成人向けに転用することが、その有効性から認可されたりしています。生活療法も日々改善していますが、基本的な枠組みが短期間で大きく変容することはないでしょう。具体的には心理教育で障害のあれこれを学んだり、ソーシャルスキルトレーニングでコミュニケーション能力を向上させたりします。発達障害児向けに特化したデイケア施設は数も少なく、今後の課題とされています。
いずれの療法を選択したところで、本人と家族、職場の同僚が留意しなければならないことがあります。それは、発達障害は完治しないという現実です。つまり生涯に渡り、発達障害と格闘しなければならないのです。とは言え、極力目立たせないように症状を緩和することは可能ですから、克服しようとする意欲を失ってはなりません。少なくともトレーニングを受けて、自分の言動が障害の特性なのか、それとも副産物なのかを峻別できるようになると、効果的な治療法を選択できるようになります。また、完治しないことを理由にしてやけを起こさないためにも、「障害」を「個性」と見做すような認知転換は有効だと思われます。障害が絡んだ思考、行動も、見方によっては個性と捉えることが出来ます。実際、芸術家に発達障害者が多く含まれることはよく知られており、自分の障害を巡って悲観する必要はないのです。

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成人以降の発達障害

成人してから自分が発達障害者だと知った時、大抵の人は戸惑いを覚えます。悲嘆にくれる人も中にはいるでしょう。しかし本人が酷く落ち込むほど将来は暗くありません。大切なことは、今以上に事態が悪化しないように、治療を開始することです。医師の指示に従って治療を続ければ、社会生活を維持することも難しくありません。治療には投薬治療と心理療法とがあり、そこにソーシャルスキルトレーニングが加わります。全てを効果的に組み合わせられれば、ほとんどの人は改善が見込めます。しかし注意したいのは、障害が発覚してから診断が確定するまでの間、かなりの時間を要するということです。精神科医も症状が似通っている疾患同士を比較して区分するのに手間取りますから、診察の他、心理検査等も複数回受けなければなりません。成育歴を尋ねられるのが一般的で、子どもの頃に発症しているかどうかを調べられますが、こうした調査も診断を確定させるためには必要なのです。
精神科医を選ぶ時は、専門医であるかどうかを確認してから受診しましょう。診断マニュアルを知悉した上、症例数を相当こなしている医師でない限り、発達障害の治療を任せるのは危険です。発達障害を専門とする精神科医は少ないのが実情なので、クリニック等に直接連絡して調べるのをお勧めします。地域によっては医師会、支援センターの試みとして、発達障害専門医を紹介していることがあります。該当する方は利用されるとよいでしょう。

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発達障害は人口に膾炙しているか

発達障害の認知度は、未だに高いとは言えない状況です。それでも昔に比べれば、話題にする人も増えているように思われます。数十年前であれば、その存在は医療関係者や教育関係者だけが知っているものでした。当時は症状が障害に起因するものだと気付きようがありませんでしたから、努力が足りないだの保護者の育て方が悪いだのと、発達障害児と保護者は非難されていたのです。もちろん現在でも障害の存在を知らない人は、同様の非難を躊躇わないことがあります。非難されても本人でさえ気付かないわけですから、そのまま社会人になってしまいます。障害者のための処世術を学ばない限り、どんなに意欲的に働いても、結果が出なかったり、人間関係が壊れたりするのは当然のことであり、最終的には退職しなければならなくなります。
退職するまで追い込まれて、ようやく自分が障害を抱えていることに気付いたとしても、すぐに楽になるわけではありません。発達障害について何の知識も持ち合わせていないわけですから、まずは勉強する必要があります。勉強を終えて、再就職を果たすと、今度は同僚や上司への説明が待ち構えています。同僚も発達障害について無知であることの方が多く、立派な病気であることを根気よく説明するしかありません。しかし言い訳だと見做されることも珍しくありませんから、結局孤立して再び退職せざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。退職が繰り返されれば自尊感情は大きく低下し、努力と空回りで時間だけが過ぎてしまいます。
このような地獄を障害者に味わわせないためにも、発達障害に対する社会全体の認知度を高めなければなりません。いわゆる「引き籠り」と見做してきた人たちの中に、発達障害者が多数含まれるという事実が、我々の勉強不足を物語っています。

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発見の遅れ

発達障害も身体的疾患と同様に、早期発見が望ましいとされます。子どもの頃から専用のトレーニングを受け続けると、成人した頃には障害を克服できるだけの社会適応能力が身に付いていることがあるからです。また完全克服は難しいとしても、会社の上司や同僚に自分の障害をきちんと説明することで、理解を得られる可能性が高まります。それに対して早期発見が叶わなかった場合、本人も障害の存在に気付くことなく、苦しみながら成人を迎えることになります。
発達障害が子どもの頃に発見されないケースは多くありますが、それらの共通項が判明しています。特に多いのが、周囲の思いやりです。子どもの頃は付き合う人と言えば、家族、友人、教育関係者くらいしかいません。つまり自分を大切に思ってくれる人しかいない環境で育つため、自分の言動を咎めたり、不審に思ったりする人が現れにくいのです。発達障害は重度の知的障害とは異なり、基本的な学習や生活に支障が生じないこともあります。そのため、周囲も少し我慢すればやり過ごすことが出来てしまい、発見が一層遅れることに繋がるのです。想像して下さい。テストの点数も平均レベルで、宿題もきちんと提出している生徒が友人とトラブルを引き起こしても、「子どもの喧嘩」と思い込んでしまうのは不自然な事ではないでしょう。発達障害の症状を単なる個性だと受け止めてしまうことも想像に難くありません。こうして成人になって問題が発覚するまで、一切気付かれないことが珍しくないのです。
では逆に成人すると何故気付く(気付かれる)のでしょうか。社会人ともなると、周囲の人は赤の他人です。空気を読めなければ、同僚も上司も注意したり、叱責したりします。それでも改善されなければ、人は離れていきます。時には解雇されることさえ生じ得ます。社会ではどのような職場でも、協調性やコミュニケーション能力が厳しく求められるのです。また仕事は学校の宿題とは異なり、受け身の姿勢でこなせるものではありません。自分で立案しなければならず、発達障害者にとっては初めての経験となりますから、この時点で気付く人も多いのです。

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発達障害の下位分類

発達障害には3つの下位分類が存在します。一つはASDです。コミュニケーション能力が低く、ジョークや比喩の理解を苦手とします。他人の気持ちを推し量ったり、場の空気を掴んだりすることが出来ません。表情やジェスチャーで気持ちを察することもできないため、周囲の人がしらけていることに気付かず、自分のことをひたすら話し続けたりします。環境が急変した場合などに狼狽えるのが特徴で、予定が狂うと大変なストレスを受けてしまいます。他方、長所とも言うべき特徴もあり、関心事項に熱中することが出来ます。
二つ目はADHDです。ADHDとは注意欠陥多動性障害を意味する疾患で、注意が散漫であったり、衝動的な行動が目立ったりします。成人してからは我慢することを覚えて目立たなくなるのですが、子どもの頃は顕著に現れます。他の症状としては、忘れ物が多かったり、他人を攻撃してしまったりするのがよく見られます。こうした症状は結果的に周囲の人を困らせ、嫌われてしまう原因になります。
三つ目は学習障害です。学校教育では欠かせない能力である読み書きが、極端に苦手であるケースが典型例です。計算を苦手とすることもあります。それぞれの能力の高低が障害者間で全く異なるのも特徴です。例えば、書く能力は健常者と変わらないのに、読むことが全くできなかったり、その逆もあったりします。問題とされる能力以外は健常者と変わらないため、周囲の人が学習障害者と気付いてくれることは期待し辛く、時には努力が足りないと非難されることもあります。ですから学習障害の発見は得てして学習面以外に起因します。例えば、注意が散漫だったり、他人の気持ちが分からなかったりする場面で発見されるのです。

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ASDとは何か

発達障害の発現時期は幼少期と言われており、その頃から情報処理に偏りが生じます。勘違いされる方もいらっしゃいますが、発達障害らしき言動が見られても、本人や周囲の人が日常生活を送ることが出来る場合、障害とは診断されません。つまり発達障害者は必然的に生活において困難を強いられるわけです。典型的な現象としては、苦手な分野の出来と得意な分野の出来とがかけ離れているのが挙げられます。健常者でも苦手な領域は存在しますが、レベルが全く異なります。そのため社会生活を営むことすら難しく、周囲の人に理解を求めるプロセスが欠かせなくなります。
これまで発達障害の分類法は、専ら米国精神医学会やWHOの定めに従ってきました。DSM、ICDと呼ばれる診断マニュアルがそれに当たり、日本の精神科医もこれらのマニュアルを確認しながら診断してきたのです。但しマニュアルは頻繁に改定されており、分類法も激しく変遷してきました。記憶に新しいところでは、ASDと呼ばれる類型が創設されたのを挙げることが出来ます。ASDとは、いわゆる自閉スペクトラムを指し、医療関係者や教育関係者の間では広く使用されるようになっています。
発達障害の分類は行動、認知の特性を基準にしています。ですから各疾患の症状はきれいに分かれているわけではなく、似たような症状として観察されることも珍しくありません。また、ある疾患を抱えた患者が、別の疾患も抱えていることがあります。疾患同士が重なり合っていることから素人には全体像が把握し辛いのですが、それでも3つに大別できることは理解できるはずです。

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デイサービス事業の要諦

放課後等デイサービスは放課後に支給されるサービスです。ですが、教育学的、福祉学的観点で対応することが大切です。障害児は学校教育のみで十分な知識を獲得したり、社会的スキルを身に付けたりすることができません。その状態を補完するのがデイサービスの役割なので、学校教育がそうであるように、デイサービスも子どもたちの人格形成に直結してしまうのです。

ただし、学校教育を真似るだけでも上手くいかないことは確かです。学校教育には障害の有無にかかわらず限界があります。それは学習時間帯、場所、人間関係が固定されていることに起因します。つまり実際の社会生活の縮小版とも言えない環境であり、学校以外の世界で訓練を積むことも、自立するためには重要なプロセスであると言えるのです。

放課後等デイサービス事業所はそうしたニーズに応え、学校よりもスケールの大きな学習環境を提供することが求められます。そうした新奇な環境に置かれると、子どもたちにチャレンジ精神が備わるようになるはずです。チャレンジ精神の伴った子どもが放課後に経験できることは、子ども自身が主役となって、地域で冒険することです。簡単に整理すると、学校ではアカデミックなスキルを身に付ける一方、地域ではソーシャルスキルを養うことができるのです。特に障害児は成人を前にして就職することもあるため、放課後等デイサービスで学ぶことが、数年後に役立つことも珍しくありません。